時間の使い方が上手い人は誰か。

博物館や美術館に行くと、

“これ何時間かかったのよ!”という編み物
絨毯、洋服を目にすることがあります。

18世紀とか19世紀

そして、こんなことになんでこんなに時間使えたのかなって考えると、単純に時間があったからもしくは今のように娯楽がなかったから。

これを単純に「暇だったんでしょう」で
終わらせていいものか。

この時代の人たちが使っていたこの濃ゆい時間と
同質のことが出来てるのか

と自分に問いたい。

スクリーンを見てる時間の長さがとてつもなく長いけど、

心は充実してるの?

勝ち組、負け組論が少し前流行ってましたが、

実は現代においても、あの時代と同じような時間の使い方ができている人が勝ち組なんじゃないのかなと思うわけです。
なぜかっていうと、自分と対峙の時間だった気がしているから。

テレビは本は、情報をくれるけど、
編み物や縫い物って言ってしまえば単調作業

だからきっと考えてたはずなんですよね。

明日のごはんなにしよう〜っていうレベルのことかもしれないけど、
この世の中はどうなるのかとか
私は何がしたいのかとか。

考える力がない現代人!と叫ばれていますが、
こういう自己対峙の時間が圧倒的に少なっているから
そうなってしまうんでしょう。必然です。

empty space が大事ってことのリフレクションですね。

これ、最近自分の中ですごく納得した考え方なんです。

うん

今学びたいことは何ですか?

ここ最近、学びについて考えることが多く、
色んな人と色んな事を話しながら、
じゃあ一体自分は学んでるのかと考えます。

必然的に何を学びたいか考えることになるわけですが、
今圧倒的に、質問力が欲しいなと思って日々もがいています。

質問の結果、相手のいろんなことがわかるということがものすごい価値のあることだなーと思って。

あの質問でめっちゃ思考進んだな
と、質問されたことに感謝するのみなんですが。

今迄はどちらかという伝え方に目線が行くことが多かったのですが、今は聞くことで得られるものにものすごい価値を感じております。

今週もほんとに楽しい毎日でした。

よい週末をー!

2016-4-25 自然に帰る。

年に一度、

自然に帰りたい

ネットもSNSも繋がらないところにいきたい。

そんな衝動に駆られる。

普段の生活だって、携帯もネットもがなくても生きれることはわかっているんだけど、
あるとなんとなく使ってしまう。
人間って弱い生き物だな〜というのを身をもって体感する瞬間。

この、携帯の使えない数日を過ごすことで、
「生きているという実感」を取り戻せる気がする。
ほとんどおまじないみたいなものなんだけど。

携帯に限らず、
なに不自由のない生活をちょっとだけ絶ってみると、
いつもとは違う感覚が磨かれる感じがあって、
きっとこの感覚って大事だな、と思うんだよな〜

深く考えられなくなったり、なんか生き急いでるな〜自分
と思う時は、このゼロに戻る感じが大事。

3日間のキャンプ。
これが私のここ数年のGWの過ごし方。
森の中のキャンプ場=私にとってのパワースポット

価値観が変わる時

何かに夢中になってしばらく走り続けているとき、
ふと落ち着いて、そこまでの日々を振り返ると、

捨てれないものが捨てられるようになっていたり、

妙にこだわっていたことがどうでもよくなっていたり、

あれ、これで「悲しい」「辛い」って思ってたのに、(今はそう思わない)

と、確実に自分が変わっているのを感じる瞬間がある。
そんな瞬間が、ついこの前あって、

12月に帰国して、ワールドピースゲームを実施するために走り抜け、
とっても濃い5日間を過ごし、4月から会社員としてのキャリアを進みはじめた。

これがこれでとっても面白く、
新しい人を知っていくこと、
自分がやったことない仕事に挑戦すること、
周りの人の仕事ぶりをみながら、素直にこの人すごいな〜と思うこと、
日々感じることが多くゆっくり振り返る暇もなかったな、と。

いわゆる通勤電車の中で、
写真を見返して過去の出来事に(いい意味で)縛られなくなっている自分
こうなりたいっていう自分のイメージが言語化できた瞬間

まだまだ、人って変わっていくんだな〜人生ってやっぱり面白いな〜としみじみ思うのでした。

私がなりたいって思っている姿は、

社会にインパクトを与えられる人(個人)!

数年前は、私に会えてよかったと思ってもらえる人になる!っていうのがテーマだったんだけど、

会えてよかったという受身ではなく、
社会を変えていくっていう、積極的な姿勢になったんや!と自分でも驚いていて。

驚いているけど、とてもしっくりきているのです。

うん。

頑張ろう。

私的解釈)囲碁と絵画は似ていると思う。

突然、文章の神が舞い降りた今日は3個目の更新。

じっくり内省したり、考えたりする時間も大切ですよね。

タイトルの「囲碁と絵画」のつながりについて、

先月宮崎の美術館で、この作品を見て思ったことなのですが、

瑛九 つばさ

この作品って、つばさのリアルさとか美しさが描かれているわけではないんですよね、

読み解くことが必要というか。
私も初めて見た時、「どこがつばさなんだ?!」と思ったんです。
きっと角度を変えれば見ればいいのかな、と斜めから見てみたり、

上の方にある点に注目すれば、確かに、つばさって見える気もするな、とか。

作者の方にも、作品の意図ってあったと思うのですが、
それをどう解釈するのかという絶対の正解はなく、受け手が素敵だと思って心動かされたなら、
それでいい。

この感じってすごく囲碁っぽい。

囲碁も、一手目打つ時って、「右端を陣地にしたいな」って思ったのに、
しばらくして盤面みると、「いや左の方が広そうかな」とか。
いろいろ考えて打って、終局したら、それはそれで、なんか最初思ってたのと違う盤面だな。とか。

どんな大きな絵画も一筆の積み重ねで完成しているように、
囲碁も一手の積み重ねが、盤面になるんだと思うのです。

そんなところが、私は絵画も囲碁も好きな理由かもしれないと思ったのでした。

追記:こういう考え方って日本人ぽいのでしょうか?
最近、囲碁の魅力を英語で伝えるというイベントを主催しております。
よかったらこちらもどうぞ。KIDO Shibuya

囲碁にはまる理由 〜20級だけど十分楽しい〜

こんにちは。

帰国後、ワールドピースゲームを広げる活動をしています!
と書きましたが、その他の時間は一体何をしているのか、といえば、
最近は専ら「囲碁」

始めた時は、よくわからず、イライラしてばかりだったのですが、
最近では1〜2時間平気で過ぎてます。笑

こうなるまでに何があったのか、というと
「はまる」ことを楽しめるようになったんだと思います。

今日、ちらっと読んだ本の一節に、
「今はストーリーの時代って言われているけど、人間て実は誕生した時から意味なんてものはなく、
今をただ夢中ですごすことが、生きることだったのでは。
意味がないと何もできないというのはまちがっている」(まりか版解釈)

と書いてあり、なんだか囲碁をやっている時の快感がすっと納得できた感じがしたのです。

単純に楽しいから、好き。

好きだから、やる。

の繰り返し。

「受験は、大学に行くため、いい仕事に就くためという意味があるもの。

でもスポーツは、大半の人が楽しいからやる、うまくなりたいと思うからやる。」

この2つって違うよねと。

楽しんでるわりに全然強くなれませんが、楽しいのでok。
新しい友達もできるので、ok
意外といろんなところで「囲碁興味あります」と言ってくれるのでok

つまるところなにが言いたいかというと、囲碁って結構楽しいので一緒にやりましょう、ということ。

おわり

帰国後、私の日常。〜かっこいい大人〜

こんにちは。

2日間、春一番が吹き、「こんな風に暖かくなるんだな」と感じる週末でした。
日本のこの季節感ってやっぱり大好きです。

ニュージーランドから、帰って来た私は
「ワールドピースゲーム」を実施する活動を行っています。

ワールドピースゲームをやる!と決めてから、いろいろな分野、お仕事をされている方とお会いする機会があり、
ちょっと安直ですが、「大人になるって楽しいな」なんて感じています。
それぞれが専門や得意を持っているから、「協力」ができる。

学生の時にも国際交流団体の活動していたのですが、その時は、
やりたいことがあって、人が集まるけど、みんなわからないことばかりだったので
正直、暗中模索もいいところだった気もします。(それはそれで夢中で楽しかったのですが)

今、昔の自分や学生で進路を悩んでいる人がいたら、好きなことを思いっきりやろう
ということと、「プロフェッショナル」になろう、というアドバイスをするかな、なんて。

「自分、こういうこと得意です」
って自信をもって言える大人ってかっこいいと思います。

30/12/2015 帰国しました〜日本のすごさ5選〜

Kia Ora.

22日に帰国してあっという間に1週間、
今年も最後の1日になりました。

夏の国ニュージーランドから
冬の国日本へ

季節だけでなく、この国に7ヶ月ぶりに戻ってきてみると
驚くことがたくさん!

1.   電車や街の中で「中国語」が聞こえてこない

英語、が聞こえてこないのは当たり前なんですが、
オークランドは、かなり中国人の多い街なので、
道を歩いていても、レストランにいても中国語を耳にするのです。

わからないけれど、なんとなく毎日のように耳にしていた中国語が全く聞こえてこないのは、
なんだか不思議な感じです。

2.   というか、全員日本人だ!

オークランドでは、中国人をはじめ、もちろんニュージーランド人、
そしてインド系〜などさまざまな人種の人が混在しているのが当たり前だったのですが、
こちらで電車に乗って、「わぁ全員日本人」ということを改めて認識
なんだか不思議です

3.   お店の人がやたら親切!!

少し前、「もしかしてだけど〜♪」というお笑いのフレーズが流行っていましたが、

帰国してから訪れたさまざまな場所での店員さんの対応があまりに丁寧で、
「もしかして私になにか言いたいのかしら?」と勘違いしてもおかしくないなと思ってしまいました。

コンビニ、駅、
そしてユ○クロ。

「袋いりません」と言ったのに、わざわざ洋服を畳んでくれたのです。

ニュージーランドは、ぽいっと袋に入れるだけ、というのに慣れていたんだ・・・笑

4.  100円のクオリティ

これは、ニュージーランド滞在中から主張していたのですが、

100円で買える食料の豊富さには感動します。

メロンパン 100円
飲むヨーグルト 100円
など。

オークランドだったら10$かかる。。

5.  7GB

携帯の通信量、ニュージーランドではDate といい、
月に500MBだったので、14倍ですね。

向こうでは、メールとフェイスブック、ときどき乗り換え検索に使うくらいだったので、
なんだか嬉しくて、先週は無駄にyoutubeを見たり、動画を見たりしてしまいました笑

その分、料金も高いのでなんとも言えないのですが、、、

以上、気づかないうちにニュージーランドになれていた私の
びっくり、日本エピソードでした。

21-12-2015 ありがとうニュージーランド!

Kia Ora.

閉まらないキャリーケースと格闘すること数時間

いらない洋服や靴は、地域の「clothes bin」という回収箱にいれ、

食材や、その他は、友人へ。

こちらに来るときは、「これがなかったらどうしよう」という不安から、
いろいろなものを詰め込んでいたのに、

帰りは、「これはあの人に」というお土産や、

「帰っても食べたい、飲みたい」もの

こちらで学んだ教材(重いし、これがネックなんだけど)が詰め込まれています。

約半年の生活もスーツケース1.5で済んでしまうんだな〜と思うと
とても身軽な気持ちです。

(1ヶ月なら小さいスーツケースでいけます私)

帰ってから家の整理、スーツケースを開ける、、という過程は
今は考えないことにしようと思います。笑

本当に充実した204日でした。

tēnā koutou Aotearoa.

20-12-2015 流行りの歌

Kia Ora.

この挨拶を書くのもあとわずか。
わずか、だけど一生の最後ではないので、
あまり振り返らず、まとめず、感傷的にならずと言い聞かせていうるちに
日付をまたいでしまいました(汗)

日本に帰るとあと半年夏までまたなければいけないので、
最後の1日太陽の夏を満喫したいと思います。

勤務最終日だった先週の金曜日は子供達のパフォーマンス大会

歌ったり、踊ったり。

子ども達の「どの歌を使うか」という会話を聞き、
小学生の中で流行っている歌がなにかと知ることができ、
よかったです♪

ちなみにみんなのお気に入りは

”Shake it off”

“Cool kids”

でした。

Aメロからサビまで歌詞をしっかり歌う子ども達、さすがネイティヴ羨ましいです。