私的解釈)囲碁と絵画は似ていると思う。

突然、文章の神が舞い降りた今日は3個目の更新。

じっくり内省したり、考えたりする時間も大切ですよね。

タイトルの「囲碁と絵画」のつながりについて、

先月宮崎の美術館で、この作品を見て思ったことなのですが、

瑛九 つばさ

この作品って、つばさのリアルさとか美しさが描かれているわけではないんですよね、

読み解くことが必要というか。
私も初めて見た時、「どこがつばさなんだ?!」と思ったんです。
きっと角度を変えれば見ればいいのかな、と斜めから見てみたり、

上の方にある点に注目すれば、確かに、つばさって見える気もするな、とか。

作者の方にも、作品の意図ってあったと思うのですが、
それをどう解釈するのかという絶対の正解はなく、受け手が素敵だと思って心動かされたなら、
それでいい。

この感じってすごく囲碁っぽい。

囲碁も、一手目打つ時って、「右端を陣地にしたいな」って思ったのに、
しばらくして盤面みると、「いや左の方が広そうかな」とか。
いろいろ考えて打って、終局したら、それはそれで、なんか最初思ってたのと違う盤面だな。とか。

どんな大きな絵画も一筆の積み重ねで完成しているように、
囲碁も一手の積み重ねが、盤面になるんだと思うのです。

そんなところが、私は絵画も囲碁も好きな理由かもしれないと思ったのでした。

追記:こういう考え方って日本人ぽいのでしょうか?
最近、囲碁の魅力を英語で伝えるというイベントを主催しております。
よかったらこちらもどうぞ。KIDO Shibuya

囲碁にはまる理由 〜20級だけど十分楽しい〜

こんにちは。

帰国後、ワールドピースゲームを広げる活動をしています!
と書きましたが、その他の時間は一体何をしているのか、といえば、
最近は専ら「囲碁」

始めた時は、よくわからず、イライラしてばかりだったのですが、
最近では1〜2時間平気で過ぎてます。笑

こうなるまでに何があったのか、というと
「はまる」ことを楽しめるようになったんだと思います。

今日、ちらっと読んだ本の一節に、
「今はストーリーの時代って言われているけど、人間て実は誕生した時から意味なんてものはなく、
今をただ夢中ですごすことが、生きることだったのでは。
意味がないと何もできないというのはまちがっている」(まりか版解釈)

と書いてあり、なんだか囲碁をやっている時の快感がすっと納得できた感じがしたのです。

単純に楽しいから、好き。

好きだから、やる。

の繰り返し。

「受験は、大学に行くため、いい仕事に就くためという意味があるもの。

でもスポーツは、大半の人が楽しいからやる、うまくなりたいと思うからやる。」

この2つって違うよねと。

楽しんでるわりに全然強くなれませんが、楽しいのでok。
新しい友達もできるので、ok
意外といろんなところで「囲碁興味あります」と言ってくれるのでok

つまるところなにが言いたいかというと、囲碁って結構楽しいので一緒にやりましょう、ということ。

おわり

帰国後、私の日常。〜かっこいい大人〜

こんにちは。

2日間、春一番が吹き、「こんな風に暖かくなるんだな」と感じる週末でした。
日本のこの季節感ってやっぱり大好きです。

ニュージーランドから、帰って来た私は
「ワールドピースゲーム」を実施する活動を行っています。

ワールドピースゲームをやる!と決めてから、いろいろな分野、お仕事をされている方とお会いする機会があり、
ちょっと安直ですが、「大人になるって楽しいな」なんて感じています。
それぞれが専門や得意を持っているから、「協力」ができる。

学生の時にも国際交流団体の活動していたのですが、その時は、
やりたいことがあって、人が集まるけど、みんなわからないことばかりだったので
正直、暗中模索もいいところだった気もします。(それはそれで夢中で楽しかったのですが)

今、昔の自分や学生で進路を悩んでいる人がいたら、好きなことを思いっきりやろう
ということと、「プロフェッショナル」になろう、というアドバイスをするかな、なんて。

「自分、こういうこと得意です」
って自信をもって言える大人ってかっこいいと思います。